経済・政治・国際

「裁判員制度」に対する疑問?

2009年(平成21年)5月21日から「裁判員制度」がスタートする。

報道で取り上げられるたびに、沸き起こる疑問がある。

「何故、国民が司法の場に引きずり出されなければならないのか?」ということである。

2001年(平成13年)6月12日の「司法制度改革審議会意見書」に、国民の司法参加が次のように明記されている。

-引用開始-

統治主体・権利主体である国民は、司法の運営に主体的・有意的に参加し、プロフェッションたる法曹との豊かなコミュニケーションの場を形成・維持するように努め、国民のための司法を国民自らが実現し支えなければならない。

(中略)

司法が、国民的基盤を確保するためには、法曹が、国民から信頼を得ていなければならない。信頼の源は、法曹が、開かれた姿勢をもって、国民の期待に応える司法の在り方を自覚的に作り上げていくことにある。法曹は、国民に対する説明責任の重みと、国民にとってより良い司法を確立する高度の責任を自覚しつつ、進んでこれらを果たしていかなければならない。

-引用終了-

この国民の司法参加の理由をよくよく考えてみると、法曹と国民との信頼をいっているが、これは、国民の司法に対する不信感を裁判員制度で埋めようとしているだけだと思う。

弁護士や検察官なら、まだ世間事情に明るいのは想像に難くないが、裁判官は世間事情、常識に疎いというようなことを聞いたことがある。

判決の報道などを見聞きしていると「この判決、なんか変だ?」と法律の素養がない国民でも感じてしまう、そんな矛盾を感じるような判決が平気で下されている気がするのだ。

裁判官の常識感覚のズレを埋めるために、何故、国民が司法の場に、裁判員法によって、強制的に引きずり出され、しかも、ありがたく無い罰則付きの守秘義務まで負わされなければならないのだ。

国民は、日々の何気なくもあり、忙しなくもある大切な暮らしがあるんです。

法廷出廷なんて荷が重いんです。

裁判を広く知らしめるというのなら、アメリカのように裁判チャンネルで主要な裁判を中継するとか、ニュース番組の中で裁判ダイジェストでもすればよいじゃないですか?

裁判員制度の法制に携わった方々も、裁判官と同じぐらい国民の心情に無知な常識感覚のズレを感じるのは、気のせいでしょうか?

「司法制度改革審議会意見書」にある「法曹が国民に対して説明責任を果たし、より良い司法を確立する高度の責任を自覚しなければならない」は、国民の司法参加がなければ、実現できないことなのか疑問に感じます。法曹の怠慢を国民に押し付けているようにしか感じられないのは何故でしょうか?

三権分立でありながら、立法、行政、司法の三権共に国民一般の常識との隔たりを感じてしまうのは、何故でしょうか?

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少子化進行(28年連続減少・35年連続低下)

5月5日の「こどもの日」にちなんで総務省が5月4日に発表した人口推計(平成21年4月1日現在)によると、15歳未満の子どもの数は少子化で1982年から28年連続で減少し、1714万人と過去最少を更新した。

総人口に占める子どもの割合も13・4%と、35年連続で低下、世界でも最低水準となっている。子どもの内訳は男子が878万人、女子が835万人。

少子化の原因は調査や報道などでもいろいろ言われているけど、一番の原因って、子どもを育てていくための経済的な問題社会基盤の不安定なんだと思う。

社会人として、1人でなら適当に収入もあり生計を維持していけるが、結婚して子育てまでとなると経済的に厳しいよなぁ~ということなのである。

経済的に余裕があれば、「子どもはたくさん欲しい(2人~3人くらい)」と思っている女性は多いと言われている。

子ども1人にかかる教育費は、だいたい1000万円~1600万円ぐらいとのこと。子ども2人の家庭では2000万円~3200万円ほどになる。

将来、子どもを大学まで卒業させるために、これだけの教育費を用意するとなると生計を維持していけるのかどうか不安に思わずにはいられないということだ。

将来、年金制度が破綻して年金がもらえるどうか判らない、増税で税金が上がるかもしれない、給料だって上がっていかない。

こんな先行きの不透明感から、自分がきちんと生活していけるのかどうかと、不安に感じることはいたって普通の認識だと思うのです。

できるだけ、働けるうちに老後のための蓄えをしておきたい。自分の生活が維持できなければ、子育てには責任が持てない、自信がないと思うのも無理はありません。

高度経済成長時代の日本では、貧乏子沢山は通用しました。

低成長経済の日本にあって、貧乏子沢山が通用するでしょうか?

今の日本で結婚して子どもを育てていくには、あまりにも社会基盤が不安定で安心できない要素が多すぎるのです。

政治に対する不信・不安、社会福祉・保障に対する不安、日本人の道徳心の低下(いじめ問題に代表される)など、あまりにも子どもを育てていくには、不安を抱かせる要素が多すぎるのです。

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